2023-01-01から1年間の記事一覧

砂川大学

砂川闘争が歴史の一行に残ったのは「伊達判決」で、このセオリーを作った中央知識人の事が未だ未解明のままなのです。 二つの空白史と言うのがあって

1955年(昭和30年)骨格測量 十一 月九日 十六本の杭を打たれ窮地に陥る。〔空白の一年の始まり〕 一九五六年(昭和三一年)十月十三日、誘導路部分測量で、流血の惨事。 十月十二日 流血の前日、鳩山総理ソ連入り測量中止宣言〔空白の国連史〕 二、「基地内…

闘争の概要とセオリーを作った人達

基地問題と戦後教育の原点(研究者用)

「郷土人文録」より判明したのが ①、「青少年対策委員長」=国から選出されたと基地年表より判明。 ②、「防犯協会事務局長」=都が敗戦直後の一時期管轄していた時 期がありまして、会長が「虎屋の15代目社長」でした。 *各自治体には教育委員会は、1952年…

8月6日に咲いた花々

毎年、8月6日の夾竹桃の赤い花が咲く広島の暑い日を忘れた事はありません。 1955年5月の砂川闘争が始まった年から「第一回原水爆禁止世界大会」が始まり、大会後に「原水爆禁止協議会」=「原水禁」が発足しました。 理事長=安井郁 事務局長=黒田秀俊=「横…

砂川大学

砂川闘争には研究者が未だ解明されていない空白史があって、闘争の指導者が持つ戦中・戦後の二つのプロセスから紐解きませんと、永久に謎のまま戦後の正史と闘争がレベルダウンした状況に義憤を抱いているのです。幻と言われている「砂川大学」を知りたいと…

砂川と文化人のお話

私は現在下記の本を永い時間をかけて執筆中です。 「砂川と文化人のお話」 指導者のやっていた事 末娘が見ていた事 あまりにも「砂川闘争」は、広範な分野・領域を網羅して企画展開されていたので煩雑になり、大要が網羅出来ても綾を織りなしてこんがらがっ…

はじめまして 本日より「砂川闘争の正史」を書残そうと思います。

「草情花伝」より (丸山健二)1966年芥川賞受賞 草にも豊かな情が具わっており 花がそれを余すところなく 人に伝えん 父は戦後の疲弊した村民に、数百本の挿し木をして分け与えて「花育」を奨励していました。傍で見たり手伝ったりしていた幼い私に、花々と…